米軍基地の経済効果と基地依存

米軍統治と基地依存経済の始まり

沖縄は戦後、日本から切り離され1972年まで27年間を米軍統治下に置かれました。そのため、1960年代の日本の高度成長の波に乗り遅れてしまいました。そればかりか、米軍の極東戦略の中核を担う広大な軍事基地建設のために、農地や宅地や産業用地を強制的に接収され、戦前の主要産業であった農業が壊滅的な打撃を受けました。

米軍は、大規模な米軍基地建設需要に労働者を投入するために、基地労働者の給与を極端に引き上げて、他の産業からの労働移動を促しました。そのため、基地労働者はピーク時には7万人を越え、沖縄最大の雇用先となったのです。そうして基地関連収入は急増し、「基地依存型経済」の構造がつくられたのです。戦後の米軍統治下の県経済は1957年には県民所得の46.5%を占めていました。


基地依存経済の中味とは?「基地依存度」の推移

「沖縄県の統計」によれば「基地経済=軍関係受取」の中味は、軍用地料基地従業員所得米軍の消費支出の3つを指しています。

2005年の返還基地収入2006億円のうち、
■軍用地料: 775億円(自衛隊関係を除く)
■基地従業員所得: 約599億円(約9,000人の従業員)
■米軍人・軍属・家族の消費支出: 632億円 となっています。

基地経済=軍関係受取このうち、「軍用地料」と「基地従業員の給与」は、日本の税金で支払われています。しかも、基地従業員の給与は、日米地位協定上でも取り決めがないものを「思いやり」で支出しているという現実があります。
ニュースなどで「思いやり予算」などと耳にすることがあると思いますが、在日米軍駐留経費の日本側負担のことを指します。

(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2008」によると、本来、日米安保条約に基づく日米地位協定では経費は基地地主の地代などを除いて、一切米国が負担することになっていますが、ベトナム戦争後、財政危機とドルの価値の急落に苦しんだ米国は日本に駐留経費分担を求めました。

政府は1978年に62億円を支出しましたが、以後急増し、基地従業員の人件費、光熱水料、基地内の建設費のほとんど全額など、2007年度で2173億円を「思いやり」で支出するほか、地代や周辺の防音工事、自治体への補助金、無償提供中の国有地の推定地代を含めると日本の負担は年間6092億円。米兵1人当たり約1800万円に達しています。

日本側の負担は期限5年の特別協定で定められてきましたが、2006年4月以降については日本側が負担の減少を求めたのに対し、米側は増額を要求して折り合いがつかず、暫定的に内容を変えず2年延長しています。2008年度以降については、2007年12月両国は次の3年間で光熱水費8億円を削減するだけで協定を更新することで合意しました。

「軍事関係受取」は、復帰時の1972年に総額780億円で、県民総所得にしめる割合(基地依存度)は15.6%を占めています。
復帰後も軍関係受取は増え続け、
1975年には、1,000億円を越え、
1991年には、1,500億円を突破、
1995年には、1,736億円、
2001年には、1,901億円と、復帰時の2倍強まで増えています。

一方で、観光収入の増加もあり、県経済の相対的な基地依存度は、
1985年には、10.2%
1995年には、4.9%
2001年には、5.1% と若干上昇したものの、
現在まで約5%前後で推移しています。


「基地関連収入」と「観光収入」の根本的な違い

基地経済を論じるときに重要な視点は、軍関係の中味とその本質です。
県民総所得の中で基地関連収入と観光収入が同じように並べられていますが、実は、観光収入は「売上額」なのに対して、基地関連収入は「利益額」にあたります。観光収入の「利益額」は10%~30%と試算してもその中味の違いは大きなものです。

しかも、「軍用地料」は不況に強いという特徴があります。軍用地料が「市場相場」ではなく「政治相場」で借料が決定されるのです。
過去、軍用地料は、1991年には前年比で110%、1992年には前年比107%と上昇しています。沖縄での基地返還要求が強まると、軍用地料が必要以上に引き上げられる傾向にあるのです。そのため、復帰後は軍用地との再契約を拒否する「反対地主」が減少して、契約に応じる「軍用地主」の増加につながっているのです。


自治体も基地収入に依存しているのが現状

市町村面積に占める米軍基地の割合基地を多く抱える沖縄県内市町村の高すぎる基地収入への依存度も基地の整理縮小の大きな悩みとなっています。

基地所在市町村の中で、市町村面積に対する米軍基地の割合が最も大きいのは嘉手納町(かでなちょう)で、実に、町面積の83%を米軍基地が占めているのです。

生産の場となる土地を奪われた市町村では、財政的にも基地収入に依存する割合が高くなっています。2005年段階で、基地依存度が最も高いのが宜野座村(ぎのざそん)で、45.3%、次いで金武町(きんちょう)が33.2%、恩納村(おんなそん)が28%と続きます。

宜野湾市は、基地収入の依存度は、3.6%と沖縄県全体の基地依存度を下回っています。また、移転先となっていた、キャンプ・シュワブがある名護市(なごし)の基地依存度は、11.6%と、市町村面積に占める米軍基地の割合とほぼ同率となっているのが現状なのです。


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