普天間基地返還と代替施設について

在日米軍再編協議の経緯と最終報告

日米両国は、2005年から日米協議において、米国の新たな安保保証環境に対応するために、世界規模での軍事態勢の見直しをすすめ、在日米軍の変革に取り組んできました。

2005年1月29日の安全保障協議委員会(いわゆる「2+2」)において米軍再編成協議中間報告が発表されました。

辺野古海岸線とキャンプ・シュワブ1996年のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)に基づく普天間飛行場の移設が大幅に遅延していることを認識して、普天間飛行場の返還を加速できるように、キャンプ・シュワブ(辺野古)海岸線の区域とこれに近接する大浦湾の水域を結ぶ、L字型に普天間代替施設を設置することや、約7,000名の海兵隊将校及び兵員、並びにその家族の沖縄外へ移転されつなどの合意がなされていました。
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その後、2006年5月1日の安全保障委員会において、「再実施のための日米ロードマップ」(いわゆる最終報告)がなされ、在沖米軍に関しては、普天間飛行場の代替施設を次のようすることを合意されています。

■辺野古岬とこれに隣接する大浦湾の水域を結ぶ形で設置
■V字型に配置される2本の滑走路を2014年までの完成を目標に建設
■約8,000名の第3海兵隊機動展開部隊の要員とその家族約9,000名は、部隊の一体性を維持し、2014年までに沖縄からグアムに移転


2009年グアムへの移転協定の締結

2009年2月17日、「第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」(いわゆる「グアム移転協定」を締結しました。(ヒラリー・クリントン米国務長官と中曽根弘文外相)


キャンプ・シュワブ沖合(辺野古・大浦湾)の風景と移設反対運動

辺野古海岸線の上空写真キャンプ・シュワブの沖合(辺野古・大浦湾)に普天間基地代替施設の建設案が持ち上がっているわけですが、この海域は、絶滅危惧種とされているジュゴンの生息北限であることなどから、地元住民をはじめ自然保護団体や反戦運動団体から反対の声があがっています。
【↑画像クリックで拡大】 辺野古周辺の海域

一方で、忘れてはならないのは、本来の普天間基地移設の目的は、「世界一危険な米軍基地」をより安全などこかに移転させることですので、自然豊かなこの海を埋め立てるのは忍びないですが、「数万人住民の命の危険」と「数頭のジュゴン」や「さんご礁」と天秤にかけることは、どこか論点がずれているように思えます。


普天間基地移転先をめぐり代替案が続出

鳩山首相が「5月末までに結論を出す」と宣言した普天間基地の移設を巡る問題で、日米両政府は、すでに普天間基地などの全面返還を決めていますが、2009年9月の政権交代をきっかけにこの2国間合意は大きく揺らいでいます。

現行の移設計画が揺らぐわけは、鳩山首相が衆議院総選挙の最中から一貫して「最低でも沖縄県外への移設、できれば国外移設」と、主張してきたことにあります。連立政権のパートナーである社民、国民新党と決めた3党による連立合意でも、「米軍再編や在日米軍基地の在り方について、見直しの方向で臨む」と明記したことから、今回の問題が勃発することになります。

提案者 提案内容
現行案 沖縄県名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部に2本の滑走路を建設。(自公政権で日米・沖縄合意の上決定)
⇒民主党政権になり、徳之島に訓練基地建設
国民新党案 沖縄県の嘉手納基地に統合。または名護市のキャンプ・シュワブ陸上部への移設。「県外移設」にはこだわらない。
社民党案 アメリカ領グアム、サイパン、北マリアナ諸島テニアン、九州などを提案。
沖縄世論 1月24日、名護市長選挙で移設受け入れに反対する稲嶺候補が当選。辺野古受け入れは白紙撤回。
2月24日、沖縄県議会本会議で県内移設に反対、国外・県外移設を求める意見書を全会一致で可決。
5月16日、5年ぶりに「普天間飛行場包囲行動」にて県内移設に反対。政府になど市への代替施設建設断念を訴える。


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